その8.こんなにも違う日本語と中国語(2)
「捏造」された日本語はいかがだったでしょうか?
捏造ついでに、もし日本語が最初に漢字ではなく、アルファベットに出会っていたらどうなっていたかを想定してみれば、日本語と中国語の間に横たわる溝の大きさが更に明らかになって来るでしょう。
Hinomotonokuni no
shirasenitewokuwaerutoiuwaza wa
taminonariwaiwotsukasadorumandokoro no otasukeniyori gungunto maeni
susumimashita.
いかがでしょうか?
意味がお分かりになる日本人は大勢いるはずです。漢字とは無縁の日本語の世界がここに広がっているのです。
事のついでに、もし、この文章が古代日本語において標準的な文章・標準的な表記法であったとして、その後、中国、ドイツ、アメリカなどとの交流が進み、それらの国の言語の一部が外来語として取り入れられたとしたら、この文章はこんな文章に変って行ったかも知れません。
Jiben no IT wa TNTM no
arbaitende shunsu progretta.
(注)Jiben=漢語の「日本」より
IT = 英語の「information technology」 より
TNTM=「taminonariwaiwotsukasadorumandokoro」 の 略称
arbaiten=ドイツ語の「Arbeiten」より
shunsu=漢語の「迅速」より
progretta=英語の「progress」より
「何じゃ、こりゃ−?」とお思いになられるでしょうが、古代の日本語しか知らない日本人からみれば、現代の漢字・漢語に加え、欧米の外来語を交えた日本語の文章はこの位大きく変貌を遂げていると言えるに違いありません。
『英語の中の歴史』(オウエン・バーフィールド著、渡部昇一・土家典生訳、中央公論社)を読むと、英語の変貌ぶりもかなりなものです。いろいろな民族の言葉を貪欲に吸収していった感があります。
日本語における外来語と言うと、とかく批判的に取られる方が多く、恐らく私がここで奇妙きてれつ(この言葉の語源は何でしょうか?)な文章を捏造したのも、日本語に外来語が多いことを皮肉ったものと解釈される方がおられることでしょうが、決して皮肉や風刺ではありません。日本語は英語と同じようにすごいスピードで外国語を自国の言語にしてしまう能力があることに着目しているに過ぎません。もしかしたら、この能力は、表音文字で表記される言葉の長所かもしれません。中国語のように表意文字を使う言葉と比較してみれば、一目瞭然です。
しかしながら、これを長所と見るか、短所と見るかは議論が分かれるに違いありません。
話がわき道にそれました。話の本筋に戻りますと、日本語(日3、日4、日2、日1、共2,共1)の世界は、このように縹渺たる(一望無際)広がりを見せているのです。
ですから、中国人が日本語を学び切ろうとしたら、日3、日4の世界まで足を踏み入れなければならないことになります。それは、大変なエネルギーを必要とするでしょう。
「ビジネス日本語なら、まー、そこまでやらなくとも大丈夫ですよ。」と、優しい日本人は中国人に言いたいところですが、そうは問屋がおろさないのです。
なぜなら、日本人ビジネスマンが好んで使う語彙や表現の多くが、日4、日3に属するものだからです。
現代の日本において、所謂文化レベルが高いというか、「国語」に強いというか、弁が立つ人達(ビジネスマンはその代表例)が必ずしも漢語を好んで使うとは言えないからです。
例えば、 |
「できますれば、このような電話はおかけしたくなかったのでございますが、なにしろ、のっぴきならない用事がございまして…、はい、お宅のご事情も重々承知いたしてはおりますが…。」
「やっこさん、へそを曲げてしまってるんだろう、きっと。一発ガンとやったるか。オイ、A社の売掛金明細持って来てくれや。」
「課長、あのことを引き合いに出しましたらね、急にしどろもどろになりましてね、イヤー、見せてやりたかったですね、あの周章狼狽ぶりを。」
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(…続く)
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