その12.問題はいかにして「中国語の耳」を作るか(1)
−なぜ「田中式ピンイン表記法」なのか?
日本人はおしなべて日本語の音に習熟しています。いや、それどころか他の外国語の音を容易に受け付けない程に日本語の音に習熟しています。
言葉を変えて言えば、日本人は「日本語の耳」は持っているが、「英語の耳」や「中国語の耳」や「韓国語の耳」は持っていないということが出来るでしょう。
そう申し上げると、「耳は一つしかないのに、そういう言い方はおかしいんじゃありません?」と疑問を呈される方がおられるに違いありません。
中国語の四文字世界に、「酒有別腸」という言葉があります。「酒には他の食物が入る胃腸とは別の胃腸があり、人の酒量はその人の食事の量に比例するわけでもないし、体格に比例するわけでもない」といった意味で使われることが多い言葉です。
日本でも、たらふく食べた後に目の前に出されたデザートを目の前にして、「甘いものには別の胃があるのよ」などとのたまわれ「有言実行」で、人の三倍位フルーツやケーキを平らげてしまわれる方をお見かけすることがあります。
私は、「耳」に関してもまさに同じことが言えると思うのです。
即ち、「話有別耳(違った言葉には違った耳がある)」が言えると思うのです。
上の例でお分かりのように、誰にも「胃」は体の中位に一つしかないのに、「ご飯の胃、お酒の胃、ケーキの胃」と三つも胃を持った人がいます。「耳」についても「日本語の耳、中国語の耳、英語の耳、スペイン語の耳…」といったように複数の耳をと持った人がいてもおかしくないはずです。
私自身何とか「日本語の耳、中国語の耳、英語の耳」の三つの耳は確保したいと念願してそれなりに勉強しているつもりですが、最近、すっかり脱帽し(小巫見大巫)、自信喪失するような事件に出会いました。
現在北京で活躍されているハンガリー人の弁護士で、なんと彼は「ハンガリー語、英語、ドイツ語、フランス語、中国語、日本語」の「耳」も持っている上に、「口」まで持っていたのです。彼が最後に習ったという日本語で一時間近く講演をやりましたが、実に流暢でした。ヨーロッパの言語だけでしたらそれ程驚くに値しないのですが、東洋の言葉を二つも自由に操るのですから、まさに凡人からみれば奇跡としか言いようがないでした。
本当の話です。
それはともかく、日本人が中国語を学ぶと言うことは、「日本語の耳」に「中国語の耳」を付け加えることを意味します。
我々日本人が中国語を学ぶということは、「耳を増やす」つまり「新しい音を聞き分ける耳を一つ増やす」ことに他なりません。
このプロセスにおいて最も重要なことは、「古い耳に頼り切らない」、即ち「ひらがなやカタカナに頼り切らない」ことです。
「古い耳に頼り切って」いては、百年かかっても「新しい耳」は形成されないでしょう。
ところが、どうでしょう、空港の書店などで売られている「旅行中国語会話」や「六ケ国語会話」の類の本のほとんどが「古い耳=かたかな・ひらがな」に頼り切ったものになってしまっています。
これでは、「新しい耳」は出来ようにありません。
これからご紹介する「田中式ピンイン表記法」は、中国語をゼロから始める人が効率良く「中国語の新しい耳」を形成することが出来るよう工夫された手法で、「中国語の耳」の形成に苦労した日本人が、ひたすら日本人のためを思い、開発したものです。
(続く…)
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