その89.日本人だからこそなれる、日・英・中の使い手(14)
どういうことが起きたかと言いますと、私が日・英・中の例文を全てしたため、英語、中国語の名手に渡したのですが、お二人が私に対して起した反応は、ほとんど同じものでした。
こう申し上げると、皆様は、きっと
「こんな言い方はしないよ。」
「もっとこなれた言い方があるよ」
と言われたのかとお思いになるでしょうが、実は、そうではないのです。
それは、こういう反応だったのです。
「一体、この言葉は、どういう状況下で、誰に向かって言っているつもりですか? 状況や話し合い相手が違えば、ものの言い方も変って来ますよ。
例えば、p。39の『いくつ?』は、一体いくつの人がいくつの人に向かって言っているのですか?」
無理からぬ話です。50歳の人間が5歳の子供に問いかけている場合と、80歳の人間が112歳の人生の大先輩に問いかけている場合では、かなり言葉遣いは異なって来るでしょう。それを、誰でも使えるような表現と言っても、所詮無理なことです。
先にも申し上げましたように、この本は、授業で使うテキストではありませんので、注釈は一切付けません。ということは、場面設定を<注>により限定することは出来ません。例えば、このように。
<注>
この場面は、20歳以上の人間が10歳以下の子供に話しかけてている場面である。
では、どうするか?
さんざん悩んだ挙句に、やはり、この本の本来的な価値を失わせないために、当初の構想を捨てずに、妥協する道を選びました。では、それは、どんな道?
こんな道です。
「ネイティブスピーカー3人が、全く同じ場面を想定した上で、
口を衝いて出てくる言葉を採用する」という道でした。
例えば、p。119の
『すみません、それ、どこにありました?』
は、3人とも、空港で、自分(中年男性)がたまたま隣で入出国カードを記入している中年女性に、ブランクの入出国カードの所在を尋ねると言う場面を想定しています。
こうすれば、少なくとも、著者3人の間では、場面設定に関する齟齬は生じないことになります。
(続く)
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