その80.日本人だからこそなれる、日・英・中の使い手(5)
英語に対抗しうる言語は中国語である、或いは、中国語しかないというのは、恐らく日本人には、余り実感が湧かないのではないかと推察します。
何となれば、日本人にとっては、江戸時代、明治時代以来、主なる外国語と言えば、オランダ語、英語、ドイツ語、フランス語だったからです。
かくのたまう私も、かつて猛烈な欧米語信者で、中学生の頃からNHKの英語、ドイツ語、フランス語講座に熱中していました。中国語などは、全く眼中にありませんでした。
しかし、時代は、大きく変って来ています。かつて、英語が主流になると見た福沢諭吉がオランダ語ではなく英語を学び、時代の潮流に乗ったのと同じようなことが今起きているのではないでしょうか?
つまり、日本人全体にとって、中国語の存在感が、まだまだ漠然としか認識されていない状態にあるのではないかということです。
福沢諭吉が若かりし時代、何人の日本人が、その後の英語の広がりを予測したでしょうか?
私は、中国語の広がりもまさにこれと良く似た状況で、恐らく、日本人のみならず、当の中国人、特に内陸に居住し外国など行くことのない中国人には想像も出来ないほどの広がりを見せるものと見ます。
こんな感じにです。
2012年、安徽省の農民の子供がカンボジア政府の招きでカンボジアを訪れる。事前に英語を勉強して行かなければと英語を習って行く。ところが、実際に行ってみると、商店街で「How
much ?」が通じない。仕方なく、「多少銭?」と言ってみると、驚いたことに、
「三元」が返って来る。
(続く…)
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