その72.なぜ、「これなら出来る!・・・」か?(20)
中国映画『山の郵便配達』(那山 那人 那狗)の中に次のようなセリフがあります。
“媽、媽的、叫着親。”
一見(一聞)すると、ののしり言葉のように見えますが、実は、これは、息子と母(妻)が仲良く会話するのを見て、思わず父(母)がもらした言葉です。
「『母ちゃん、母ちゃん』って、仲良しみたいに呼んでるな。」
「『母ちゃん、母ちゃん』って、えらく仲がいいな。」
「『母ちゃん、母ちゃん』って、恋人みたいだな。」
「『母ちゃん、母ちゃん』って、べたべたするな。」
(我が家に置き換えると、
「娘が『母ちゃん、母ちゃん』って、うるさいな。べたべたするな。
たまには、『父ちゃん、父ちゃん』って言ってよ。」
となります)
これが生きた会話というものです。
これをきちんと「中国語文法概論」の単位を取った学生は、
“児子一直叫“媽媽、媽媽”,他們親密極了!”などと言わないと
気がすまないでしょう。というか、そう言っても良いと言ってもらわないと
不安でならないでしょう。
中には、「何でこんな言い方をするんじゃい? こんなことなら、
中国語語法の勉強なんかしなきゃ良かった」と感じる学生もいるに違いありません。
私は、この学生のこの感慨こそ、図らずも、全ての外国語における、「文法」「語法」のある一面を表していると見ます。
つまり、
外国語の文法、語法に詳しい人程、発話する段になると、口が重くなりがちだという事実があるのです。
或いは、こう申し上げた方が、分かり易いに違いありません。
発話能力を試さない外国語の検定試験で高得点を得た人が、必ずしも会話に長けた人ではないという事実がある。
(続く…)
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