その179.<一文字>〜<多文字>(2)
世界の言語学の主流であるチョムスキー言語学に
よれば、世界のどの民族にも共通する「普遍文法」を
想定することができると言う。
当然ながら、欧米、いや、インドーヨーロッパ語族
以外の言語(アジア、アフリカ等の言語)も、この
枠組みから逃れられないとされる。
まあ、そういう学説にケチをつける訳ではないが、
それはそれとして更に深化させる一方で、全く別の
切り口から文法にアプローチするということも考えら
れて良いのではないだろうか。
事実、アマゾンの一部族、たかだか400人程度が
話している「ピダハン語」が、ひょっとしたらチョムス
キー言語学を根底から覆すかも知れないということで、
論議を呼んでいるらしい。
この言語には、再帰(繰り返し、recursion)が見られ
ないと主張する学者がいて、もし彼が正しいとすると、
チョムスキー派にとっては、一大事ということになるらしい。
私は、今後、世界の言語の研究がさらに進めば、こういう
事例は増えて来ると見る。
例えば、中国語だ。
実用性の観点から見た場合、中国語をチョムスキー理論
に当てはめたころで、何が得られるのだろうか?
「漢字一色」のこの言語の研究には、独自の切り口があっ
てもおかしくない、いや、あるべきではないだろうか。
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