その176.「音読」の重要性(3)
3.「発話」が先か、「聞き取り」が先か?
「外国語の音をずっと聞き続けていれば、いつか、ある日、
突然、外国語の音が口を衝いて出てくるようになる」が正しい
とすれば、「聞き取り」→「発話」という順番が最も効率的な
勉強法ということになります。
一方、「外国語の音を出し続けていれば、いつか、ある日、
突然、外国語の音が聞き取れるようになる」が正しいとすれば、
「発話」→「聞き取り」という順番が最も効率的な勉強法とい
うことになります。
私は、前回も述べましたが、「発話」→「聞き取り」がより
効率的な勉強法だと考えています。ですが、「ある日、突然」
とは言いません。「自分の母語に存在しない音でも、自分が発話
出来た瞬間から」聞き取れると考えるからです。その瞬間から、
他ならぬ自分の耳が、自分が発話した音を聞き取って、「まあ、
これなら、通じるだろう」と判定出来るからです。
世界中には、「これが、人間の言葉を構成する音か?」と言い
たくなるような「音」があるようです。それも、喉から出したり、
鼻から出したり、下と口蓋の間から出したりと、多種多様だとい
うことです。
例えば、舌を上下の歯と歯の間において出す音があったとしま
す。そういう音がない日本人の場合、いくらその音を繰り返し聞
いても、まさか、そんな曲芸のようなことをして出しているとは、
夢想だにしないに違いありません。
私が、「音読」が有効だという、その根拠は、外国語の一部の音
は、「口周りの筋肉」を鍛えないと、よしんば、聞き取れたとして
も、つまり、脳では、「ああ、この音だ!」と理解しても、普段か
ら鍛えておかなければ、「口周りの筋肉」が、脳の指示に従って、
思うようには動いてくれないという、実に、単純な理由に基づく
ものです。
「音読」には、それ以外の効用も勿論ありますが、最大の効用は、
これ、即ち、「口周りの筋肉」を鍛えることにあると、私は見ます。
(続く)
▲目次に戻る
|