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 100万人の中国語


その159.「話す」「聞く」「読む」「書く」(5)
 
 実は、この本との出会いは、私にとっては、劇的なものでした。
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大学に奉職する限りは、論文なるものを書かなければならない。そして、論文を書くためには、先行研究なるものを網羅しなければならない。そんな論文があったなんて知りませんでしたでは、済まない。

 そんな境遇に置かれた、ある日、池袋のジュンク堂の言語学のコーナーに行ってみると、どこかで見たような著者名の本に出会う。この名前、どこかで、聞いたことあるな。埋橋徳良って、確か高校(長野県伊那北高校)の英語の先生の名前じゃなかったかな?

 本を手に取って、著者略歴を見てみる。

 1917年、長野県伊那市に生まれる。
 東京外語(現東京外大中国語科)卒業。
 長野県内高校教師、信州大学非常勤講師等を経た後、主として、春台、天山、修二等の研究を進め、現在までの関係著述は序章で述べた通り。

 やっぱり、そうだ。「アベレテー」だ。英語の先生だった埋橋先生だ。(当時の信州の片田舎の高校生たちは、‘ability’を「アビリティー」ではなく、「アベレテー」と発音する教師を嘲笑って、埋橋先生にこういう綽名をつけていた。実に、無知の極みだった。)

 懐かしいなあ!!!

 まさか、あの先生が、こういう研究をしていたとは。英語の授業では、おくびにも出されなかった。当時、先生は、我々思い上がった高校生達をどういう思いで見ていたのだろうか?

 そう言えば、埋橋先生が、英語の授業中に、何気なくこんな言葉を漏らされたことがあったな。

 「中国の教養ある人と、中国語でまともな会話をするということは、至難の業です。」
 
 そうだ、先生は、ご健在なのだろうか?
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 その後、先生の消息を尋ねてみると、私が本屋で先生と再会した一年ほど前に、100歳近いご高齢で亡くなられたとのことでした。

 もし、10年前に、先生と再会していたら、いろいろなお話が聞けたはず、残念の一語に尽きます。

 ところで、本の中身についてですが、太宰春台、坂本天山、伊沢修二と言えば、埋橋先生や私の故郷、伊那谷が輩出した逸材で、何をしたかは詳しくは知らなくとも、その名前は、皆知っていました。しかし、彼らが、中国語とどういう係りをしたというのは、全く聞いたことがありませんでした。

(続く)
 
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