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 100万人の中国語


その157.「話す」「聞く」「読む」「書く」(3)
 
 考えてみますと、日本列島に住む人間たちが、大陸の文化に接し大きな衝撃を受け、大陸の人達の真似をして、「懐風藻」のような漢詩を作った時代が、あるにはあったものの、その後長い長い年月、日本列島に住む人間は、極極一部の人を除いて、学者ですら、中国語の音と「格闘する」必要がなかったのです。中国の「声調」や「日本語にない音」と闘う必要はなく、「読む」「書く」に専念していればよかったのです。

 これは、ある意味、大変ラッキーなことだったと言えます。中国語の音をマスターすることは、「格闘」という言葉を使っても決して大げさではない程に多大のエネルギーを必要とするのですが、それから逃れられ、いきなり、中国人の「思考回路」に入って行けるのですから。
  或いは、全く自分の胸の内を相手に分かってもらえないといったつらい経験をしなくて済むのですから。時間をじっくりかけて、「読む」「書く」作業をすることが出来たのですから。

 また、種子島にポルトガル人が鉄砲を持ってやってきた時、彼らに従って来た中国人と日本人が、砂浜で砂の上で筆談をしたと聞きますが、それが出来たのは、日本人の側が漢字を「読む」「書く」をものにしていたからに違いありません。また、その後の日本、中国間の条約締結、戦争終結等の交渉を筆談で行うことが出来たのも、同じ理由によるものでしょう。

 しかし、これは、ある意味、不幸であったとも言えます。なぜかと言えば、様々な目的、開拓・移民、戦争で大陸中国に渡った日本人が、中国語の音が身に付いていないために、中国人と会話を行うことが出来なかったり、日本語を漢字で紙に書いて中国人に見せたところ、大きな誤解が生じたりすることの原因となったからです。更に、現代に生きる日本人の多くが、中国語の音を「カタカナ」により学びたいなどという大それた、的外れなことをすることになってしまっているからです。

 特に、最後の、「カタカナ中国語の氾濫」の最大の原因は、私は、我々の先人達が、「いいかい、中国語の音をなめたらいかんぜよ。中国語の音は、日本語の音の何十倍も難しいんだぞ。その音をマスターしようとしたら、正しい方法によるのでなければ、すごい回り道をすることになってしまうんだぞ。ゆめゆめ、カタカナで学ぼうなんて思っちゃいけないぞ。・・・」と我々に諭してくれなかった点にあると見ます。

(続く)
 
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