その156.「話す」「聞く」「読む」「書く」(2)
2.中国語を「話す」「聞く」ことの難しさ
人間同士の会話において、「話す」「聞く」が最も基本的であり、最も重要なことであるなどと言うことは、実は、誰でも知っています。
外国語を学んでいる人に、
「どうして、この外国語を学ぶのですか?」
と聞いたら、ほとんどの人が、
「片言でもよいから、話せるようになりたい。」
「外国人の話していることの一部でもよいから、聞き取れるようになりたい。」
などの答えが返って来ます。誰でも、「話す」「聞く」ことが大事だということは
知っているのです。
では、ここで、なぜ、敢えて、この問題を取り上げたかと言えば、それは、 二つの懸念があるからです。
(1) 「話す」「聞く」は、難しいから、取りあえず、「文法」「語法」 「文の仕組み」を先に学ぼうというような向きがある。
(2) 中国語の「話す」「聞く」は、日本語や英語やフランス語と同じで、特別なものではない。
(1)は、「話す」「聞く」から、一見易しいと思われる「読む」「書く」に逃げ込むケースです。日本人の場合、漢字に慣れているために、とかく、そういう傾向が見られます。しかし、深く考えてみるまでもなく、「読む」「書く」が出来ても、中国人と直接話をする機会に恵まれない江戸時代と違って、日本人と中国人が顔を突き合わせる機会がごまんとある現代にあって、「危ない!」「逃げてください!」等が中国語で一言も発せられないとなると、何のための中国語の勉強かと言わざるを得ません。地震に遭ったら、逃げなければいけないのですが、中国語の勉強にあっては、逃げてはいけないのです。
(2)は、逃げずに、正々堂々と「話す」「聞く」に真正面から取り組んではいるものの、取組み相手を軽く見過ぎているケースです。自分がこれから攻略しようとする敵を甘く見過ぎているケースです。このように敵を甘く見てかかると、手痛い目にあいます。具体的には、敵の手ごわさに辟易して、中途で挫折してしまうのです。そうすると、結局は、「話す」「聞く」の世界に足を踏み入れることすらもかなわなくなってしまうのです。
(続く)
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