その152.二段ロケット式外国語学習法(34)
3.「カタカナ中国語」の限界
全日本人の問題として、「カタカナ中国語」について、考えてみたいと思います。
「カタカナ中国語」というのは、「カタカナ」に慣れ親しんだ大方の日本人にとっては、大変とっつき易いもので、大変、便利なものです。ややこしい「ピンイン」などという発音記号を覚えなくても済むのですから。
しかしながら、「カタカナ中国語」に、「一段目ロケット」の役目が担えるのでしょうか?
残念ながら、「カタカナ中国語」には、その資格はありません。なぜなら、「学習者を絶対に第1目標地点に到達させなければならない」という条件をクリアできないからです。何故なら、「カタカナ中国語」は、学習者に、中国語の全ての音を提示することが出来ないからです。
例えば、(四声は、無視するとして)、
『野菜炒め』=“ qing chao shu cai ”
は、どうやってカタカナで書き表せるでしょうか?
“チン チャオ シュー ザイ”
ですか?
これは、恐らく、中国人の耳には、
“ jin jiao xu zai ”
位に聞こえるでしょう。
“ qing chao shu cai ” と “ jin jiao xu zai ”
似てますか?
これが、似ているという人は、人間が、鳥の鳴き声を真似して発話し、人間が「似ている、似ている!」と悦に入っているようなものだと申し上げたいと思います。
鳥は、仲間の鳴き声だと受け取ってくれるでしょうか?鳥に聞いてみなければ、分かりようがありません。同様に、日本人が、中国語を発音して、「通じる、通じる!」と悦に入っても、肝心の中国人が、中国語だと認識してくれなければ、何もなりません。
「カタカナ中国語」に頼っての学習は、まさに、「事倍功半」(倍の労力をかけて半分の成果しかあがらない)どころか、「事倍功‘無’」と言うべきです。ですから、今から、「カタカナ中国語」に頼ろうなどという安易な気持ちはスッパリと捨てて、「ピンイン」に真正面から立ち向かうべきです。
(続く)
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