その147.二段ロケット式外国語学習法(29)
私は、外国語の教育に携わる者として、ある特定の外国語の「全ての音」に関して、ネイティブと非ネイティブでは、まるで、「耳の構造」が全く異なっているかのような大きな違いを感ずることが多く、戸惑いすら覚えています。
ところが、一方では、電車の中で、「日本語」、「英語」ともにネイティブの「発音」をごく自然にしている小学生の一団に出会うことがかなり頻繁にあり、興味深く彼等、彼女らの発音を聞くにつけ、ネイティブの「発音」を非ネイティブが身に付けることも決して不可能ではないという気もして来ます。
一体、このことを、どう理解すれば良いのでしょうか?
スティーブ・ピンカーは、この点について、次のように述べています。
・・・大人の大半は、外国語を完全にマスターできずに終わる。
とりわけ音素は、身につかず、なまりが残ってしまう。
(言語を生み出す本能 下 p.94−95)
以上を総合すると、六歳までは確実に言語が獲得できるが、それ以後は確実性が徐々に薄れ、思春期を過ぎると完璧にマスターする例はごくまれになる。(言語を生み出す本能 下 p.98)
まさに、私の実感とピタッと重なり合っています。
しかし、「成人」がどうやったら外国語をものにできるか、そのための「二段ロケット式外国語学習法」の「一段目ロケット」をどう設計すべきか、という問題に取り組んでいる我々には、頭から冷や水を浴びせるような厳しい指摘となっています。
「成人」が、外国語の「音」を身に付けることは、針の穴をラクダが通るよりも難しいというのですから。
(続く)
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