その107.日本人だからこそなれる、日・英・中の使い手(32)
前回挙げた例以外にも、どうしてそうなるのか、分かりにくい例があります。
郷郵員換了我児子。
老師誇他優点多了去了。
他給我逮着了。
都是国将不国。
他一瞼的不高興。
・・・・・
意味を説明されれば、「なるほど」と言えるものが多いですが、我々外国人がこういった中国文を、自信を持って書きこなすことは、至難の業です。
しかしながら、漢字を母語では一切使っていなかったイランの方が日本の「新人賞」をもらう時代ですから、いつまでも、言い訳がましく、「中国語の文法は、とびきり、難しく、奥が深い」などと言い張って、取り組むべき「中国語の文法」或いは、「中国語の習慣的語法」の問題をないがしろにして良いと言うつもりはありません。
ただ、私は、日本人が、たまたま母語である日本語の次に出会った第一外国語が英語であることより、英語の文法が世界の言語の共通項であるとの感違いが生まれ、それに基づいて世界中の言語を検証するというやり方に何らの疑問も感じていないということに、若干釈然としないものを感ぜざるを得ないのです。
(続く)
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