その106.日本人だからこそなれる、日・英・中の使い手(31)
日本語を母語とする人間で、大学入試や就職のためもあって一生懸命英語、特に、英語の文法を学んだ者が、今度は中国語を学習する段になって、「中国語も、文法をしっかりと身に付けることが大事だ」という発想をすることは、極々自然であると思います。
中には、私はスピーキングはうまくなかったけれど、英文法は得意だった、国文法(日本語文法)は得意だったから、中国語の文法もきっと得意になるに違いない、と手ぐすねを引いている人もいるかも知れません。
もし、そういう人がいたとして、その人が、中国語世界に足を踏み入れたら、どのようなことになるでしょうか? これは、見ものです。
いや、そういう人を例に出すまでもなく、言語学の始祖ともいうべきかの偉大なソシュール先生も、今わの際で中国語のテキストを手にされていたそうですが、こういった欧米の言語学者、たとえば、ソシュール氏、たとえば、チョムスキー氏等に、中国語の文法解明に立ち向かってもらえていれば、結構面白い展開があったはずです。
恐らく、ニュートンの世界で安住していた人が、アインシュタインの世界に足を踏み入れてしまったかの如く、大きな大きな発想の転換、革命的なパラダイム転換を余儀なくされたに違いありません。
その位、中国語の文法の体系は、英語とも、日本語とも、異なっているのです。
具体的な例をあげましょう。
“銀行家 最愛 戦争。”
という中国語を英語、日本語に訳すと、
“Bankers love wars most.”
「銀行家達は、戦争が最も好きだ。」
となり、英語と中国語は、よく似ており、どれが「動詞」であるかは、一目瞭然といったところです。
全ての中国語が、こんな具合になっていれば、問題ないのですが、次のような中国語の文章があり、これが“病句(文法的に問題のない文章)”となると、いかがでしょう?頭を抱えざるを得なくなってしまいませんか?
“戦争 是 銀行家 的 最愛。”
(宋鴻兵編著『貨幣戦争』、中信出版社、2007年、86頁)
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