その101.日本人だからこそなれる、日・英・中の使い手(26)
まず、一つ目の「声調言語」である中国語と「非声調言語」である英語の混同の問題ですが、これは、かなり深刻であると言わざるを得ないと感じることがしばしばです。
「身近な英語でさえ覚えられたのだから、中国語なんて、簡単に覚えられるはず」
「ただ聞き流していれば、英語だって覚えられるのだから、地理的に近い中国の言葉は、もっと簡単に覚えられるはず」
「“英語耳”の出来た人は、“外国語耳”が出来ているのだから、“中国語耳”も簡単にできるはず」等等
の広告文を目にする度に、「あー、ここでも、また『声調言語』と『非声調言語』を一緒くたにしているな」と嘆きたくなります。
英語と中国語は、共に日本語からみれば、「外国語」に属するというだけであって、そのことだけで、英語と中国語が近い言葉だということにはなりません。
周りくどい言い方は止めましょう。大方の日本人は、英語という外国語を学んで、「外国語とはどういうものか分かった」ような気になっていますが、それは、大きな誤解です。日本語と英語だけでは、『非声調言語』の範囲内を一歩も出ていません。『非声調言語』の話者が『声調言語』の『声調』を
習得するのがいかに難しいか、全く理解できていないのです。
実際、中国語を教える現場で、いやという程、その難しさを、教師も生徒も痛感させられています。たとえ、『声調』は一筋縄では行かないということを意識していたとしても、難しいのです。
この問題は、私などが口を酸っぱくして申し上げるよりも、アメリカ人や、フランス人や、モンゴル人と一緒に中国語の発音、特に、『四声』を学んでみれば、すぐに分かることです。それらの人々にとっても、『声調』が大きな壁となって立ちはだかっていることが分かります。
(続く)
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