その9 中国人と日本人、どこが違う?(2)
中国人と日本人、どこが違う?
2回目
3.中国人の言葉はストレートで善悪をはっきり表現する
日本人の言葉はやや彎曲で余裕を残す表現が多い
例えば、全く同じ否定の意味を表すのに、
中国人はこのような言い方をする人が多い。
「これは完全に間違っているから、絶対辞めるべきだ。」
日本人は1例としてこのように言う。
「あまり正しいと言えないかもしれないね。
どちらかと言えば辞めたほうがいいと思うけどね。」
表現方法自体に善悪をつけがたいが、時と場合によっては、
もうちょっと丁寧に言って欲しいとか、
或いは、もっとはっきり言って欲しいとか思いたくもなる。
一つ言えるのは、中国人同士は論争が好きなのに対し
日本人同士は喧嘩が嫌いなのは、
言葉の表現法と関連しているかもしれない。
また、日本語の文法自体も表現を和らげるのに便利。
例えば日本語の否定語が最後に来ている点だ。
直接人と話をするとき、言葉の途中で相手の顔色を伺ってから
イエスかノーかの最終判断をする余裕がある。
勿論言葉の最初に言う「はい」とは「イエス」と言う意味ではなく、
相手の言ったことが分かった、或いは単に聞こえたと言う意味だ。
4.中国人は悪に対し徹底的に叩き潰す
日本人は悪に対し逃げ道を残す
雲南省の麻薬に関わる犯罪者が死刑とか、
福建省の大型汚職事件に関わる幹部14名が死刑とか、
中国の悪に対する憎悪の深さが如実に伝わってくる。
社会発展度合いの違いを除いても日本では考えられないことだろう。
一方、日本では少年殺人犯に対する人権的な配慮は、
被害者家族への配慮よりも上ではないかと思われるほどだ。
地下鉄サリン無差別殺人事件で逮捕されたオーム真理教の
麻原教祖に関しては、何年経っても判決が下りてこない。
(もっとも最近では中国に見習うべきだとの声も出ているが。)
三国志の曹操は一般的に「奸臣」の代表人物の1人とされる。
戦の中で関羽が曹操を逃したことに関しては、
中国と日本では全く異なる評価になっている。
中国人は「性格上の弱点」と評しているのに対し、
日本人は「大将の美徳」と見ているのだ。
罪人が死んでからの見方は特に違う。
中国人は「更に足で踏みつけて」延々と批判しつづけるのに対し、
日本人は「死を以って罪を償う」と了承し、これ以上の追求はしない。
中国宋の時代の英雄岳飛を殺した秦檜の石像を通ると、
中国人は今でも憎しみでつばを吐く。
日本首相がA級戦犯を祭っている靖国神社を参拝しても、
日本の一般国民は国際世論に反して理解を示している。
5.中国人は必要と思わない限り人に挨拶したがらない
日本人は何かにつけて人に挨拶し近況報告する
中国人は単なる挨拶を時間の無駄と考える人が多い。
極端な話では困っていて助けが欲しい時にやっと人に挨拶する。
中国で言う「平日は線香を焚かず困ったときに仏の足を抱えて拝む。」
ま、これはこれで効率が良い一面もあるかもしれない。
日本に長く居る中国人は皆感じることだろう:
日本人は自分と関係ない外来者には「冷たい」が、
日本社会の人間関係は中国よりスムーズに行くケースが多い。
日本人同士の挨拶の慣習が上手く働いているようだ。
ご馳走になったら翌日お礼の電話をする。
(中国人はいちいちお礼を言うのは水臭いと考える。)
引っ越してきたらタオルかお菓子を持って隣人挨拶する。
(中国人は警戒して知らない人からはまず物を受け取らない。)
挨拶の形はいろいろあるが、葉書での挨拶では、
年賀状、暑中見舞い、喪中、就職、転勤、結婚、出産・・・
人生のいろいろな変化の瞬間を皆に報告している。
こうした挨拶から、人間同士の親近感が生まれてくる。
(つづく)
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