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  ■中国市場への視点 (株)チャイナワーク


変貌する蘇州と日本人事情(1)


 上海の空は快晴で空気も澄んでいる(PM2.5もずいぶん改善されたのだろうか)。秋も深まる季節だというのに汗ばむほどに日差しが強い。10月15日の夕方、上海駅から蘇州駅へ向かった。日本の新幹線そっくりの高速列車(和諧号)に乗車。弊社のスタッフと仕事の打ち合わせをしているうちに、あっという間に蘇州駅に到着した。距離は80kmだが、時間はわずか30分。しかも、いまは便数も多い。
 以前、蘇州には観光で度々足を運んだが、当時はバスや汽車で2時間はかかっていた記憶がある。これだけ交通アクセスが良好なら、蘇州の住居を構えて上海へ通勤することも不可能ではない。上海市郊外を飛び越して、ベッドタウン化する蘇州の姿が浮かび上がってくる。

 さて、蘇州市――。交通旅游図を広げると、右に蘇州工業園区、中央が旧市内、左に蘇州新区、横にきれいに並んでいる。
 蘇州工業園区(以下、工業園区)は蘇州旧市街の東側にある金鶏湖を中心に位置しており、面積はおよそ260uという広大な敷地だ。工業園区は中国とシンガポール両国政府間との共同プロジェクトであり、中国唯一の国際的な政府間合弁開発区だといわれている。1994年に開発に着手した。だが、単なる工業開発区ではなく、シンガポールと同様の近代都市を目指した行政区域だと思ってよい。電信柱は地中に埋められ、整然とした街づくりは、まさに近代都市、シンガポールを彷彿とさせる。これは当時も今も変わらない。だが、当時の工業園区の企業誘致は、けっして順調とは言えなかった。

蘇州工業園区と蘇州新区の確執

 その当時の筆者の記憶では、工業園区とほぼ同時期に中国政府が西側に蘇州新区(以下、新区)を開発し始めたのである。だから新区というのは工業園区より新しいという意味で名付けられた。用地開発に関するノウハウ等を真似たのは、今の高速鉄道が日本の新幹線の技術を真似た姿と重なって見えるが、遅れていた中国が先進国の技術に追いつくために、どん欲に技術やノウハウを導入する姿は、いまも昔も変わらない。そして、蘇州新区の造成を安いコストに抑え、工業用地の使用権譲渡価格を工業園区より低く設定したため、新区に外資の企業進出が殺到することになった。

 これには当時のシンガポール首相だった故リー・クワンユー氏を激怒させた。当初の合弁の約束とは違う――というのである。これは両国の威信をかけた国際プロジェクトだ。そのプロジェクトからノウハウだけを吸収して、地元の開発区が利権を追い求めて邪魔をしている。中国の発展を支援する心意気だったリー・クワンユー首相が、中国政府に裏切られたと感じたのも無理はない。中華圏の同胞でさえも煮え湯を飲まされる中国政府の戦略思考とは、こうであった。経済至上主義で発展に悶えている中国は、なりふりなど構ってはいられなかったのである。
 ――が、さすがにケンカの相手が悪かった。いかんなくリーダーシップを発揮し、世界から注目を集めるリー・クワンユー首相を相手に揉めるのは不利だと判断した中国政府は、方針を転換して共存の道を探っていく。そして、工業地域として順調に発展して今日に至り、時代は大きく変わりつつある。人件費も上昇し、環境への配慮が必要となっている。蘇州、とくに工業園区では、いまは製造業から小売りや金融、サービス分野の企業誘致に大きく舵を切ったのである。

 蘇州の日系大手小売業の現地幹部を訪問すると、彼女は興奮気味にこう話してくれた。
「工業園区には、蘇州久光やイオンモールなどの大型小売店がありますが、これから、さらに大きな商業施設建設の計画が目白押しです」
 具体的には、久光の周りに、台湾新光三越、IAPM、誠品書店・・・等。そして、極めつけは蘇州中心というショッピングモールの建設が始まっている。蘇州市の投資する政府系企業で、面積は30万u(東京ドーム約4.7万uの6個分以上)という広大な敷地に6,000台収容の駐車場が完備しているという。2年後の2018年に開業予定である。
 この話を聞いたとき、なぜ工業園区にばかり大型小売店やサービス業が集中して出店しているのか筆者は疑問に思った。この地域にそれほどの購買力や人口があるのだろうか?

 次号では、その理由を明らかにするとともに、蘇州の日本人事情に大きな変化が起きていることをお伝えしよう。



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