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その4 中国でうまく行くか、日本の小売業?


 中国で奮戦している日本の小売業。合弁や請け負い経営、委託経営、技術指導、形はいろいろだが、販売面では日本側が主導的な立場にあるのは共通している。
 しかし、小売業にとっては、商売がうまく行くかどうかはほとんど店の場所で決まってしまうぐらい、場所が重要だ。
 中国に進出した日本の小売業も、場所に泣き、場所に笑った。

 ジャスコは上海から撤退した。
 大型スーパーと言うが、見た感じほとんど百貨店に近い。
 上海駅の前にあったのに、なぜなんだ。
 中国の事情を少し分かる人なら、当たり前だと思う。
 日本の駅が大抵普通の人のショッピングセンターになっているのと違い、上海駅とは、地方の人が上海に来る時、帰る時、あるいは泊る場所が無い時にたむろっているところであり、上海人は地方へ行く時あるいは帰ってくる時以外にあまり使わないところなのだ。
 つまり、肝心の見込まれ客の上海人は普段行かないところだったのだ。

 伊勢丹の上海淮海路店はうまく行っているらしい。
 これは上海の一等地にあるし、場所が大変良かったのだ。

 伊勢丹のもう1つの南京路店は今一つ。
 と言うのは繁華街ではあるが、地方客が集中する街だからだ。

 三越の上海店は伊勢丹以上にうまく行っていると言えるかもしれない。
 それもそのはず、日本人客の一番集中する、ホテルオークラ経営のガーデンホテル(上海)の中にあるからだ。勿論現地での品ぞろいのうまさもあっての事だ。

 ヤオハンの「ネクステージ上海」は周知の通り、経営権は中国側に渡った。
 ヤオハンの非現実的な経営戦略が祟ったのもあるが、場所の問題もあった。
 現在の上海では、買い物と言ったら、まだまだ浦東ではなく、浦西なのだ。浦東で高級百貨店を出すのは少し早すぎたのだ。店の名の通り、それは「ネクステージ」の事業だった。

 ヤオハンの北京店が失敗し、経営権を中国側に渡し、鳴り物入りでの上海への進出だった。
 北京店の失敗は、場所ではなかった。日本流の経営スタイルを無理に押し付けようとしたからと言われる。

 西友の合弁百貨店は北京から事実上の撤退と、新聞記事に出た。
 これも納得できる。
 中国はまだまだ車社会でないのに、北京の東郊外の通県に店を造ってしまった。

 イトーヨーカ堂の北京店も苦戦している。
 日系商社のアドバイスを受けながら、なぜか、北京市内ではあるが、寂しい東の端っこ、「十里堡」と言うあまり知られていない場所に行ってしまった。
 しかも経営不振の国有紡績工場の従業員宿舎が集中しているところであり、周りに金を持っている客がほとんどいない。

 そごうの北京店は宣武区にあり、比較的に立地が良いと言えるかもしれない。これもあまりうまく行ってないそうだ。
 宣武区とは、東京で言うと、下町の葛飾区か。
  結局、中心街ではないんだ。

 ダイエーは最初の立地点は北京の王府井と言う一等地であった。しかし、なぜか、話しが途中で物別れになり、王府飯店の隣にあるビルができる前に北京から追い出され、 天津へ行かざるを得なかった。
 結局天津では、今はスーパーマーケット5、6店か、ほとんど繁華街や住宅区に店を構えられたため、値段が他店よりやや高いにもかかわらず、住民に受けていると言う。

 伊勢丹の天津店も和平区と言う中心地の中のまた繁華街に有り、今や天津の住民特に若者の一番人気の店になっている。

 このように、個人的な感触をまとめてみたが、場所に笑う者より場所に泣くのが余程多いのだ。
 どうしたのだろう、日本の小売業は?
 なぜもっと事情の詳しい現地の方と相談しなかったのだろうか。
 現地の方が信用できないのか。
 それとも自分が現地の方に信用されていないのか。
 それとも中国の商人が日本の商人に利益を取られたくないから良い場所を提供したがらないのか。
 それとも日本の商人が交渉に苦手で途中で譲歩してしまうためか。
 それとも中国進出の意思決定のプロセスに難があったのか。

2000.7.22
〔完〕
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