その22
中国からのメッセージ
中国の変化は誰の目にも分かる。
この変化から、我々は何を見出したのだろうか。
8年間の抗日戦争の勝利に大きく貢献し、4年間の国民党との内戦に勝ち抜き、毛沢東を頭とする中国共産党の指導の下、1949年中華人民共和国が設立された。以来、反右派運動、大躍進、大飢饉、文化大革命…幾度もの人為的な苦難を経て、ケ小平の手によって、中国は強国になる最大のチャンスを迎えるところに辿り着いた。これは、1978年末の対外開放であった。
開放してから2004年までの26年間の変化は、驚くに値するものであった。
本文は、断片的ではあるが、筆者の体験と目にした一部のデータを基に、過去と比較しながら現在の中国の本質を探ってみた。1. 共産党が変質した
中国共産党は社会主義中国における無産階級の政党であった。冷戦時代、中国共産党は帝国主義者の陰謀による中国の「和平演変」、つまり、平和的に資本主義社会に変質してしまうことを極度に警戒していた。
ところが、ケ小平の手により、中国は内部から「和平演変」を実現させたのだ。中国共産党はもはや社会主義政党ではなくなった。それを理論的にフィックスしたのは、江沢民の「3つの代表」論であった。
つまり、共産党は絶対多数の国民を代表する政党だと宣言したのだ。無産階級だけでなく、資本家をも代表するという意味で、やや無理を感じさせられるようだ。
いずれ、民主化の過程において中国も多党制政治になると考えられるが、共産党の変質は、中国の歴史の発展段階に合致しており、人民の幸せにつながった快挙だと言える。
2. 株と不動産が話題になるようになった
資本主義は「万悪の源」と言われてきた中国。50年代、共産党の手により、民族資産階級の持っていた株資産はすべて剥奪された。
ところがその共産党自身が変わった。90年代に入り、株式市場が再開され、共産党政権の下で資本主義が復活した。
中国はもはや社会主義国ではなくなった。今は普通の会社員や家庭の主婦までが投資家になった。
ただし、構造的に非流通国有株の存在に将来の需給関係が脅かされ、近年の株価が下がる一途である。今後の市場整備が期待されている。
都会の住宅はほとんど国のものであった。一般的に私有財産を持つことは許されなかった。対外開放によってこれもいっぺんに変わった。今は主要都市では7割の住民が自分の住宅を持っているという。
地方の金持ちが上海・北京の住宅を買うツアーを組むほど不動産バブルが起こり、中国政府も不動産政策に苦労するようになった。
3. 国民が政治に口出しするようになった
経済の発展に引っ張られて、政治の民主化が実現された近年の事例は台湾である。インターネットの発達によって国民が政治に関与しやすくなったことも一因だ。
過去の中国では、国の指導者の悪口を言ったら逮捕されてしまうぐらい、タブーであった。
2003年中国にサーズが起きた時、江沢民が事実を隠そうとしため、インターネット上で痛烈な批判に遭った。今年4月の反日デモの発生もインターネットが大きく働いた。
中国政府の外交政策などについて議論を交わすサイトもある。人民代表(国会議員)でもない国民が国策に口を出すようなことは、20数年前はあり得ないことだった。
最近は、先進国と同じように、省、市の長官がテレビで視聴者の評価を受けたり、市政府の会議に市民に列席させたりするような試みも始まっている。
4. 台湾と対話するようになった
50年代、福建省のアモイと台湾管轄の金門島との間、数年間にわたり砲撃が続いた。
大陸では、「台湾人民は国民党の暗黒な支配の下、地獄のような生活を強いられている。」と言われていた。無論、台湾地理学を学んだ人は、これを信じなかったが。
今は、大陸より遥かに豊であることは既に常識となったのは言うまでもない。台湾企業の大陸投資により、両岸の対話がどんどん広がり、大陸の民主化もゆっくりではあるが、少し進んでいる。いずれ政治的にも両岸が握手することは、時間の問題だけではないかと思われる。
5. GDPが11倍になった
対外開放により中国経済が大きく飛躍した。開放前の1978年のGDPなどの数字と昨年のものと比較すると、成果が一目瞭然である。
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1978年 |
2004年 |
平均成長率 |
GDP |
1473億ドル |
1兆6494億ドル |
9.4% |
貿易額 |
206億ドル |
1兆1548億ドル |
16%超 |
外貨準備高 |
1.67億ドル |
6099億ドル |
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貧困人口 |
2.5億人 |
0.26億人 |
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(2005年5月17日人民日報より)
6. 弱い人民元が上昇に転じた
1980年約1ドル=1.5元であった人民元は、対外開放と輸出促進のために少しずつに切り下げられ、1994年1月1日、1ドル=5.8元から1ドル=8.7元に、兌換券の廃止と同時にまたもや大きく切り下げられた。しかし、それから人民元は上昇に転じた。
2005年7月22日約1ドル=8.28元から、1ドル=8.11元に切り上げられたが、むしろそれまでの延長線上にあった。
農民利益の保護などの国内事情により慎重にスピードを抑えているようだが、国際的な圧力や日本円の歴史からも分かるように、人民元はこれからも上昇するだろう。これは中国が経済強国になっていく予兆でもあると言える。
中国は陸続きの国とは、人民元決済の貿易さえしており、将来的に円に代わってアジアの基軸通貨を狙っているのでは。
7. 地域格差が広がった
対外開放の最大の功績は中国に富をもたらした。最大のマイナス点は、もともと小さくなかった貧富の格差を更に広げてしまったと言ってよい。国全体で言うと、沿海地域は開放前より数倍豊かになったが、内陸部特に交通の便の悪い地域はいまだに立ち遅れたままである。
沿海開放15都市2004年のGDPは中国全体の21%も占めているという。(「中国通信」)
上海あたりでは、1人当りGDPは5000〜10000ドルあり、実質の生活水準は香港と変わらないといわれる。
一方、貧困地域では、学校に行けない子供たちがまだ大勢いる。
国策「西部大開発」、「東北振興」、「中部奮起」が標榜される理由である。とは言え、地理的な要素から、格差は縮まるが、完全に消えることは不可能だろう。
8. 国有以外の企業が主力になった
2004年、中国への外資直接投資の実行額は5,621億ドルに達した。認可された外資系企業は50数万社。フォーチュン誌ランキング500社のうち、400余社中国進出を果たしているという。(2005年5月17日人民日報より)
これらの外資系企業は民営企業等と共に、中国の工業事情を大きく変えた。
中国の工業生産に占めるシェアについて、国有企業は、過去の80%前後から、2004年の35%位に下がっている。外資系企業は売上500万元以上のものだけでも31%、民営企業も同じく売上500万元以上のものだけで約17%占めている。(「中国統計摘要」により算出)
2004年輸出に占める外資系企業のシェアは既に57%になっている。(中国商務部データベースにより算出)
9. 海外企業を買うようになった
三九という中国の医薬品会社が日本のメーカーを買った。レノボ(聯想)がIBMのコンピュータ部門を買ったことは、良かったかどうか別として、去年は大きな話題になった。今年もアメリカの石油会社を買う話が出て、成功はしなかったが、後にカナダのペトロカザフスタンの買収に成功した。20年前は勿論、ありえない類の話だった。
因みに2004年まで、中国の累計対外投資額は既に370億ドルに迫っている。
10. 中国発の技術標準を目指すようになった
有人宇宙飛行が成功するほど、中国の技術水準は部分的に世界レベルに達しているが、工業全体のレベルで言うと、まさにまだ発展途上にある。
しかし、近年の進歩は著しい。さまざまな分野において技術開発成果を上げている。
2003年、中国企業が現在のDVDより解像度が5倍高い「EVD」を発表し、国際標準とするよう国際電気標準会議に申請したが、各国の反対に遭った。
2005年2月、中国政府が開発した無線通信技術「WAPI」の国際標準化は、またもや先進国の反対で認められなかった。(2005年3月19日「日経新聞」より)
しかし、中国の主張が世界で通る日は、そう遠い将来ではないような気がする。
11. 鉄の茶碗が破れた
過去の国有企業は「鉄の茶碗」だった。すべての従業員は公務員であり、失業はありえなかったからだ。
2004年の政府発表失業率は4.2%。失業という言葉はもはや中国でも聞きなれた言葉になったのだ。数年前までは中国に失業者はいない、いるのは待業者だと負け惜しみとも取られるような言葉を使っていた。
要するに、中国は普通の国になったのだ。他の国の抱える社会問題は自分の国も抱えていることを素直に認めたのだ。
12. 富裕層が誕生した
政治経済学とはよく言ったものだ。政府認可開発業者や、政府指定購入先になれば、ぼろ儲けができるのだ。勿論株や不動産、通常の会社経営で金持ちになる人もいる。
2004年中国(大陸)一の富豪黄光裕氏の推定資産は105億元。日本円換算で1400億円余。
経営者だけでなく、一部の俳優、スポーツ選手、弁護士などからも金持ちが出ている。
最低賃金水準が400〜500元しかないのに対し、北京市では、年収50万元以上の高所得者は1.3万人いるという。1000人に1人の計算だ。
政府の住宅政策も金持ちを生んでいる。数万元で政府から分譲してもらった住宅を百数十万元で売り、不労収入を一気に100万元以上も手に入れる。上海ではこうした金持ちは100万人もいるという。
文革中、金持ちは革命の対象であった。貧乏だが、社会全体ほぼ平均的だった時代が過ぎ去り、貧富の差が大きく広がった。
しかし、貧富の差があるのは何処の国も同じ。貧富の差の小さい日本のほうがむしろ世界で珍しいだろう。
13. 贅沢品が売れるようになった
昔は、贅沢品は非難される対象物であった。今は、金持ちが沢山現れてきたので、当然贅沢品が買われるようになる。
昨年北京のモーターショーで、1億円もする乗用車が中国人に買われたことが話題になった。
上海南京西路にあるブランド品ショップのテナントビルには、ルイビトン、シャネル、ブルガリー、コーチ、エルメス、グッチ・・・・世界中の有名店が並んでいる。本当に売れているかと疑ったが、日本の小売業の専門家の話では、結構売れているそうだ。
中国共産党機関紙「人民日報」(2004年11月10日)では、中国の贅沢品の消費者層は総人口の13%、1.6億人いると見ている。
14. スーパーマーケットができた
6年ほど前天津に倉庫型のスーパーマーケット、フランスのカルフールが開業した時は、レジの前に長蛇の列ができた。今は既に話題性がなくなったぐらい、スーパーやコンビニエンスストアーが都会で普及してきた。
ウォルマート、メトロ、ファミリマート、ローソン、セブンイレブン・・・・勿論、上海のコンビニ「好徳」のように、中国資本のものも数多く現われており、竹の子の如く各地で展開されている。
最近では、どちらかといえば反日ムードの中にあるにもかかわらず、おにぎりを美味しそうに食べる若者を見かけられる。
15. 国民が海外旅行できるようになった
香港に行ける。東南アジアに行ける。ヨーロッパにも行ける。日本にも行ける。日本の温泉旅館が大変な人気だとか。20数年前までは出国どころか、外国のラジオ放送を聞いただけで逮捕される時代であったことを知っていたら、今は信じられない気持ちになるのだ。
因みに2004年中国人の海外渡航者数は、2,850万人に達しており、内日本への渡航者数は、61.6万人。
直近聞いた話では、ある農民の来日団の1人、秋葉原で最高級デジカメを50台買ったとのこと。皆へのお土産だという。もっとも、今年7月から、中国人1人あたり5000元超える海外からの買物は課税されることになり、今後秋葉原の売上も減るのでは。
16. 若者は携帯電話を手放せなくなった
対外開放前、家庭に電話があるのは、一部の高級幹部など特権階級のみであった。それが現在、固定電話どころか、都会の若者は、携帯電話を持たないのが極めて珍しいケースになったのだ。
2004年末、中国の携帯電話加入者数は3億3千万人。インターネットの利用者数は0.94億人、今年の6月は既に1億人超えている。(「中国通信」)
カーナビの導入も簡単な地図ながら、一部の都市で試みているという。
コミュニケーションの手段こそ、近代化の最大な武器ではないだろうか。
17. 映画のラブシーンも普通になった
改革開放前は禁欲の時代だった。すべての文芸作品には当然ながら、性描写はありえなかった。今は、性描写のために封印されていた古代の小説「金瓶梅」も解禁された。映画のラブシーはもう珍しくない。「人体芸術」と称してヌード写真集が堂々と販売されている。インターネット上では、性に関わるあらゆる話題が飛び交っている。
数年前新鋭女性作家の小説「上海ベイビー」が余にも露骨にセックスを描いたため発禁となった。今年も軍幹部の若妻と自宅の従卒との性愛を描いた小説「為人民服務」(人民に奉仕する)が発禁となった。
が、度合いの問題と政治的影響の問題であり、性描写自体が禁止ではないのだ。
18. 皇帝が評価されるようになった
日本でも帝王学の素材になった康熙皇帝。内乱を治し、台湾、チベット、新疆、蒙古を領土に収めた中国歴史における最大の英雄だと評価する学者も出てきた。
雍正皇帝。「人頭税」、即ち頭数で取る税金を、貴族の反対を押し切って「田賦」、即ち田んぼの規模で取る税金に変えるなどして、偉大な政治改革を成し遂げた。
乾隆皇帝。当時世界GDPの3割弱を占めると言われる経済大国を築き上げ、「乾隆」の名は世界に轟き渡った。但し、鎖国政策の始まりもこの皇帝からだった。
これらはすべて、対外開放前は共産党に批判される対象であった。
19. 西太后、李鴻章、袁世凱が再評価された
近代の西太后は、教育改革など進歩的な一面もあった。
売国奴と言われた李鴻章は命懸けて日本への賠償金を減額させるのに成功し、最大な愛国者であった。
帝政を復活しようとした最後の一幕は別として、袁世凱は列強乱舞の中、中国の蒙る損害を最小限に引き止めた功労者だった。
逆に、孫文の理想は当時の中国の実情にまだ合っていなかった。
これらは、2年前のドラマ、「共和への道」(中文:「走向共和」)から読み取れる。現体制の批判にもつながる恐れから再放映こそしなくなったようだが。
要するに、共産党は昔のように自分に有利に歴史を解釈するのではなく、歴史を客観的に見るようになったのだ。
20. 今後の可能性
2004年、中国の消費者小売総額は5兆元を超え、世界最大の移動通信市場、世界2番目のインターネット市場、世界3番目の自動車消費市場となった。2010年になれば、中国に中レベルの購買力を持つ家庭は1億世帯現れてくるとされている。(2005年5月17日人民日報より)
中国は、2020年のGDPを2000年の4倍である4000億ドルにし、1人あたりのGDPを3000ドルにすることを目標としている。
2008年のオリンピック以降、不況になるのではとの意見もあるが、中国の学者の間では、「小さい国ならともかく、中国の全体から見れば、オリンピック自身の経済効果は余にも小さい。」つまり、その反動も心配不要と言うことだ。
ロシア、インド、ブラジルなどの国と比較して、より政治的に安定している点も中国の強みであろう。
いずれにしても、中国は今世紀中、世界一の経済大国になることは十分可能だと考えられる。その過程において、世界の国々にとっては、中国へ投資するチャンスは無限にあると言えるかも知れない。
21. 日中関係
今年は終戦60周年であることもあり、日中関係はあまり芳しくないようだ。中国側の最大な不満は、日本が周辺国の納得するような形で意識上の戦後処理をしていないことにあるのだ。ドイツのようにすっきりした形にしてほしいというのだ。
首相の靖国神社参拝は、幾ら戦犯のためでないと言っても、中国人の目には戦犯を評価しているようにしか映らない。文化の違いとは、こういうものだ。
アジア最強の経済大国と自負する日本に対し、歴史大国と自負しながら現在は発展途上国であるゆえに、心の中に余計アンバランスを感じているかもしれない。一部の若い中国人が日本を小ばかにしているのも、このアンバランスの現れかもしれない。
日本の資本、技術力、経済発展の経験などは、中国にとって必要なものである。
中国の市場、廉価な労働力、政治的影響力などは、日本にとって必要なものである。
嫌でも、お互いに一衣帯水の隣国である。
周恩来の言う、「大同を求め、小異を残す」ようにし、協力し合っていけば、両国にとってメリットは計り知れないほどあると考えられる。
結び
文中でも触れたが、結論は、中国は普通の国になったということだ。北朝鮮のようないわゆる共産圏の国から、資本主義世界の普通の国になったということだ。
現時点で中国は、経済的にはまだ発展途上国であるが、13億人の政治大国である。
土地がある。資源がある(但し、水と石油は不足)。歴史がある。文化がある。人材がある。普通の国になってイデオロギーからの阻害要因がなくなり、これらの要素はもっと機能を発揮されることになる。
やや米国一辺倒の世界政治に偶に反骨を見せようとする個性もある。ロシアとの共同軍事演習は米国へのある種の意思表示であるかも知れない。
ややプライドの高い隣人と認識して、個性を尊重しながら、普通に対処していくべきではないかと考える。
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